私が植えて、アポロが水を注ぎました。
しかし、成長させたのは神です。
ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、
成長させてくださる神です。 《Ⅰコリント3:6-7》
■ 育てたもうは神
先日、教会の周りの斜面に、アジサイの花を植える作業を有志でしました。
全部で、30本くらいになったでしょうか。
これらはすべて、毎週、講壇の生け花をしてくださる姉妹が、
前の週に生けられたものを、捨てないで、私が何の考えもなしに、
プランターに挿したものでした。
一緒に作業してくださった姉妹が、
「先生、上手に挿し木をされましたね。」と言われましたが、
私は、「私は何もしていません。ただ挿して、水をあげただけです。
すごいのは、植物自身に備わった生命力と、育てたもう神様です。」と答えました。
私たちは、自分のしたことを手柄のように勝ち誇り、
どんなもんだ! とばかりに、鼻にかけるかもしれません。
しかし、本当に私たちはしたことは、いか程でしょう。
私たちの営みのすべては、育てたもう神の御手の中にある。
その事を、深く心に留めておきたいと思うのです。
聖餐式は、キリスト教(プロテスタント)において、「聖礼典」と呼ばれる2つの儀式のうちの1つで(もう1つは「洗礼式」)、イエス・キリストが弟子たちと共にした最後の晩餐の席上の出来事に由来しています。
「わたしを覚えて、これを行ないなさい。」《ルカ22:19-20》と主イエス様は言われました。私たちのための、主の十字架の御苦しみを偲びつつ、罪を悔い改め、成し遂げられたことを感謝して、信仰を新たにします。
シャローム
シャロームは、ヘブライ語で「平和」を意味する言葉。ヘブライ語の挨拶の言葉で、
日本語の「こんにちは!」に相当します。
でも、この「シャローム」は、単に争いがない状態としての平和とか、心理的な平安ではありません。「神による平安」「神様だけが与えることのできる平安」です。すなわち、神が私たちに与えようとしておられる祝福のすべてを含んだ言葉なのです。
「あなたに平安がありますように!」
恵みは、ギリシャ語で χάρις(カリス)。ラテン語では gratia(グラティア)。細川ガラシャ夫人は、このラテン語の音に近い日本語表記ということになります。
恵みとは、「それを受けるにふさわしくない者に対して示された、神の愛」です。神は愛です。その神様は、私たちを功績によるのでなく、善行や業、行いによるのでなく、無条件に愛してくださいました。すべての人に、神の愛が示されたのです。恵みです。
「神は愛なり」 “God is love.”
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